09.その目的


 私は、生きたい。
 まだ、死にたくはない。

 和光美月(24番)は、花壇のヘリにもたれかかる。背中と尻に、ひんやりとした感触。うん、まだ私の体は、温かい。まだ、生きてる。
大きく息を吸って、吐く。何度も深呼吸をする。だが興奮状態は、簡単にはやまなかった。そりゃそうだ。
私は今、殺されかけた。そして、銃撃戦からかろうじて生き延びることができたのだ。命のやり取り、真剣な戦い、こんな感覚、味わったことなんか、ない。
私は結局なにをした? 男子2人が銃でやりあっていたというのに、私はなにもできずに逃げ出した。私も銃を持っていたというのに、結局使いすらしなかった。

 いや。これで、いいんだ。

私はやりあっていた男子、波崎蓮にも、そして柴門秀樹にも、なんの接点もない。2人の戦いに横から水を差すなんて、もっての他だ。どちらが正義でどちらが悪かなんて、わからない。そんなこと、私にはどうでもいい。いま、私はここでこうして生きている。それだけで、充分喜ばしいことじゃないか。

 あれから、どれくらいの時間が経ったのだろう。図書室から逃げ出して、体感的には数時間が経過した。太陽はすっかりと沈み始める準備をしている。その間に、銃声は数発響いただけだ。すっかり耳になじんだ、何度も聞いた種類のもの。おそらく、あの2人が持っていた拳銃は、今もこうして、着実にクラスメイトの命を奪っていっている。
そして、なによりも命を奪うのは銃だけじゃない。刺殺、絞殺、撲殺、毒殺。人間なんてものは、いくらでも殺し方がある。静かに、そしてこっそりと。銃をぶっ放す奴も怖いけど、まるで暗殺者のように静かにクラスメイトを殺しまわる奴だっているのかもしれない。そう考えると、怖くなってきた。
ダメだダメだダメだ、そんなことでどうするんだ。私は死にたくない。なら、なにをすべきかなんて、初めから決まっているんだ。私の手には、それが簡単にできる武器が握られているじゃないか。今使わないで、いつ使うんだ。

 夕焼けの差し込む校庭。水飲み場のあたりで、なにかが動く気配がした。ぼーっとこの景色を眺めていたのだから、誰かが動くのを見つけるのは簡単だった。あれは、いったい誰だ。
そこそこの距離はあったけれども、その他に動く物体は見られなかったから、私は安心してその動くものに近づくことができた。この状況で動くものなんて、生きているクラスメイト以外に誰がいる。

 あいつは、山瀬陽太郎(23番)だ。

私は、慎重に少しずつ近づく。山瀬は屈みこんで、なにかをじっと見ているみたいだった。だが、水飲み場の陰になっていて、いまいちよく見えない。もう少し近づくか。
そして、徐々に近づくにつれて。どうにも嫌な予感というものは的中するらしい。山瀬が見ているのは、死体だった。横方向に大柄な人間、あれは、木島雄太(8番)に違いない。その死体を、山瀬はじっと見つめている。なんだ、あいつは。

 気が付いたら、私はニューナンブM60をの撃鉄を起こして、山瀬に向けて構えていた。牽制のつもりだった。だけど、膝が震える。腕が震える。顔が、引き攣っていく。この人差し指に力を籠めたら、あの木島の死体の上に、もう一つ死体が重なるのだ。
山瀬は、ようやく気が付いたのだろう。いつの間にか銃口を向けられていることに、ひどく驚いた顔をしていた。

「うごくな」

私は、喉の奥から絞り出すように、声を出した。やっと、出せた4文字の言葉だった。
しかし、山瀬はフンと鼻で笑うと、悠々と立ち上がる。

「やぁ、和光さん」
「山瀬……」

 山瀬陽太郎という男は、私の中ではあまり記憶がない。確か去年の秋頃に盲腸で入院したとか聞いていたが、それからなかなか退院できないのか、全然学校に来ない奴という認識だ。年明けくらいでようやく不登校になったんだと、それとなく察したけれども、別にそこまで仲がよかったわけでもないし、私にとってはどうでもいい存在だったのは間違いない。
その山瀬の顔を、あの視聴覚室で久々に見た。あの時も確か、波崎蓮が山瀬の名前を呼んで、そこで初めてあいつを再認識したんだった。そういえば、こんな顔をしたクラスメイト、いたっけな。

「あんた、そこで……」
「まぁまぁ。とりあえずその拳銃をひっこめなよ。別に僕はいま和光さんとやりあいたいわけじゃあない」

そして、私は少しだけ疑問に思う。おかしい、私の中の山瀬のイメージは、こんな奴ではなかったはずだ。もっと、弱々しくて、いつもなんか下を向いている感じの、どちらかといえば陰鬱とした奴だったはずだ。それが、なんだ、こいつは。誰だ。
気が付いたら、両手で構えていた拳銃は、地面へと向けられていた。そんなに重たいはずはないのだが、ものすごくずっしりと、重量を感じる拳銃に思えた。
銃を下げても、いきなり山瀬が襲ってくるような気配は感じない。山瀬は、改めて木島の死体をまじまじと眺めている。

「和光さん、この死体を見てみなよ。腹部を撃ち抜かれたうえに、ご丁寧に首元をナイフで掻っ切られてる。これが致命傷っぽいね。きちんとトドメまでさしてるよ」
「…………」
「この男子って、木島くんだよね」

私は、黙って頷く。冷静に死体を観察している山瀬と違って、私は今、ものすごくこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。嫌だ、そんな汚いものの近くに、いたくなんかない。木島が死んだとか、そういうのはどうでもいい。早く私を解放してよ。

「木島くんかぁ……なかなかしぶとく最後の方まで生き残るかと思っていたけど、案外あっさりと死んじゃうものなんだね。怖いね」
「ぜんぜん、怖そうに見えない」
「いやー、怖いよ? なんたって、僕はしばらくぶりの学校だからさ。みんなの顔とか、あまり覚えてないからさ。覚えてない子に、いきなり殺されるなんて、怖いよ。ねぇ」

山瀬は、そんなことを言う割に、両手にはまったく武器を持っていない。丸腰の状態に見えた。もしかすると、どこかに武器を隠し持っているのかもしれなかったけれど。

「あ、でも和光さんのことは覚えてたよ。出席番号だって、1つしか違わなかったからね。席も1学期の頃は近かったから、覚えてる」
「それはどーも」

 私はあんたのこと、忘れてたけどね。

「じゃ、お互い頑張って生き残りましょ。僕はそろそろ行くね」

 そして唐突に、山瀬は本当に何事もなかったかのように、踵を返して歩き始めようとしていた。ちょっと待て、それはないでしょ。

「待ちなよ」

 思わず、私は山瀬を呼び止めた。山瀬は立ち止まって、振り返る。

「……なにさ」
「なにって、山瀬。あんた、戦わないのかい?」
「戦う?」

 山瀬は、首をかしげる。

「戦うって、どうして?」
「どうしてって……戦うのがルールじゃないか!」
「そんなのルールでもなんでもないよ。このゲームは、最後の1人になった奴が生きて帰れるってだけだよ。生徒同士がエンカウントしたら戦わなくちゃならないなんてルールは、どこにもない」

 山瀬は、本心からそう言っているみたいだった。そこに、嘘偽りはないのだろう。

「僕は、確かにやる気ではあるけれどもね。意味のない戦闘はしたくないんだ。和光さんだって、そこまで好戦的でもないみたいだし、ならここはお互い、スルーし合おうよ」
「ま、まぁ……それはそうだけど」
「他になにか、聞きたいことは?」

 山瀬が、じっとこちらの眼を覗き込んでくる。なにもかも、見透かされているみたいだ。

「……その、山瀬は、やる気……なんだよね。理由って、あったりするのかな」
「やる気になる、その目的、か」

 山瀬は、少しだけ空を仰いだ。

「ちょっと前の銃撃戦、おまえなんか知ってるか」

 そして、顔を再び元の位置に戻す。私の握る拳銃に、目線は行っていた。
 なるほど、情報収集ということか。

「いたよ、その場に」
「そっか。誰と、誰が、やりあってた?」
「……私が誰かとやりあってたとは、思わないんだね」
「まぁ、そりゃあね。和光さんが誰かとやりあってたなら、今頃僕はもうあの世行きだよ」

 山瀬は、苦笑いをする。
 なんだ、こいつ。こんな表情もできたのか。

「波崎と、柴門」
「……ふーん」
「なんか、心当たりでも?」
「いや、別に」

 山瀬は、今度こそ、踵を返す。その先にあるのは、校舎だ。

「情報ありがと、助かった。お礼に僕からもなにか情報あげないとね」
「別に気にしなくたっていいのに」

 校舎は、夕焼けに照らされている。山瀬は、振り向きもせずに、言った。

「校門の近くに、大貝さんがいたよ」
「玲子が?」
「うん。確か一緒の部だったよね。それはなんとなく覚えてるんだ」
「へぇ、案外覚えてるもんね。ありがと、行ってみる」

 私は、日が沈む前に、さっさと大貝玲子(5番)に会ってしまおうと思った。同じバレー部同士なら、まだ少しは状況も変わるかもしれない。そう思った。

「山瀬、サンキューな」
「いやー、まぁね。またお互い無事に会えたら、その時はまたのんびりとお話でもしようよ。ね」
「お互い無事ならね。じゃね」

私は、さっさと校門へと向かう。
試合が始まってから、はじめて普通にしゃべることのできた相手だ。それが、少しだけ嬉しかった。
無理をして殺し合いなんかに参加しなくてもいい。それがわかっただけでも、だいぶ気は楽になった。


 山瀬陽太郎は、校門へと進んでいく和光美月の後姿を一瞥する。

「気を付けるんだよ」

 そして、夕闇に飲み込まれた校舎へと、入っていった。

   *  *  *

 遠くから、5時のチャイムが聞こえる。
 それが、私と玲子の殺し合いを始める、合図だった。


 玲子は、校門の脇の花壇に座っていた。私ほどではないけれど、玲子もバレー部だからか普通の女の子よりも背はあった。ちょっと運動部系かって言われたら、どちらかというと文科系みたいな雰囲気はしたけれども、彼女のレシーバーとしての才能はすごかった。いざ追い込まれた時の、最後までボールに食らいつこうとするその執念は、凄まじいものを感じていた。
思えば、今のこの状況は、いよいよ追い込まれた時そのものなのかもしれない。私が声を掛けると、玲子はすくっと立ち上がった。その手元には、少し短めの、九五式軍刀が握られていた。

「玲子?」
「あたしね。ずっとずっと、美月ちゃんのことが、うらやましかったの」
「なにしてんのさ。ね、武器下ろそうよ、ね」
「確かにあたし、背は澄香ちゃんや美月ちゃんに比べたら小さいからさ、レシーバーとしてなんとかレギュラーメンバーに食らいついてきたよ」
「…………」

 玲子の足取りは、そこで止まった。

「私はさ。玲子なら、この状況でもまだマシかなーって思ったんだけど」
「美月ちゃん。勝負しようよ。どうせあたしは生き残れないし、ならせめて最後は同じバレー部の子と戦って、そして死にたいの」
「なにそれ、意味わかんない」

玲子と戦う理由は、ない。
山瀬陽太郎だって言っていた。意味のない戦闘はしないと。わかっている。今ここで私が玲子と殺し合いをする理由は、ない。
だけど、玲子にとってみては、これは必要な通過儀礼らしかった。エンカウントしたから戦うのではない。きっとこれは、イベント戦なんだ。

 よく、RPGゲームのイベント戦とかでさ。かつて共に戦った仲間が裏切って、敵になったりすることってあるじゃん? あれ、戦う前は主人公たちは葛藤しているんだけど、実際に戦闘が始まると容赦ないんだよね。そういうところ、ある意味ゲームっぽいっていうか、要するに現実味がないよね。
私はふと、そんなことを考えた。いきなりクラスメイトと殺しあえと言われて、喜んで殺し合いができる奴は、現実をゲームかなにかと勘違いしている奴だと。そういえば、山瀬もこの試合のことをゲームと称していた。なるほどなるほど。

「私はさ、こういう殺し合いってやつは初めてなんだけどさ」
「うん」
「ぜんぜん、楽しくない気がするよ」

 その時だ。5時のチャイムが、遠くで鳴った。
 ああそうだ。ここは現実世界。殺し合いが楽しくない、そんな世界だ。

「美月ちゃん!」

 チャイムをきっかけに、玲子は一気にダッシュで駆け寄ってきた。そして、軍刀を振りかぶる。

 そんな玲子に。私は、躊躇せずに。
 引き金を、引いた。

「玲子!!」

 1発目は、玲子の腰のあたりに命中した。玲子は、よろけた。
 2発目は、体勢を崩した玲子の胸のあたりに、当たった。

 そして、玲子は地面に転がると、ピクピクと痙攣をしていた。

「玲子、玲子……!」

 玲子は夕焼けの空を、ぼんやりとした眼で見つめている。その息の感覚は、短い。

「玲子……」
「美月ちゃん」

 朧気な瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。

「美月ちゃん、あのね」
「……なに?」
「あたし。死ぬのは、怖い」

 ただ、それだけを告げると。玲子の瞳から、急速に光が消えていくのが、わかった。
 本当に、それはただの死だった。突然訪れた、死だった。

「……玲子」

 私は、友を殺した。もう、後戻りはできない。
 これはゲームじゃない。現実だ。人殺しなんて、つまらない。

 終わらせてやる。なにも、かも。

 5番 大貝 玲子  死亡


 【残り16人/process.2 終了】

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